ホロコースト ~ちゃんと知ること
目をそらすこと、無知であることは罪かも~
前にホロコーストについて書きましたが、
これまでの私は、嫌なことから逃げていたくて、深く知ろうとしませんでした。
たまたま、命を懸けてナチスへの抵抗運動をした人達がいたことを知り
考えさせられました。
あまり聞きたい話題じゃないかも知れませんが、もし思いを同じくする人がいれば
ご一緒に考えたいと思い追加の記事にすることにしました。
よかったら、過去記事もごらんください! ヘタレなわたしです (/_;)
なぜ人々はヒトラーを支持し、ホロコーストを許したのか・・・?
もともとは、産業革命に端を発する世界同時不況がベースにあり
さらに第一次世界大戦の敗戦でドイツは過重な賠償責任を負わされたことで
国家の経済は破綻し、大恐慌から立ち直れず失業者があふれました。
そんな中、雇用の拡大と経済回復をうたい、成功させたヒトラーは
人々から絶大な人気を博しました。
施策の重点は、公共事業としてのアウトバーン建設と
大衆用に安価に提供できるフォルクスワーゲンの開発でした。
そして、徹底した人気取りの施策と広報!
ヒトラーはその演説の巧みさもあり、人心をとらえるカリスマ性が凄く
それが正しい方向に使われていたら・・でも、独裁だったから成果も出せたのか・・?
そんな背景があり、人々はヒトラーに傾倒していきホロコーストさえも認めたのです。
ヒトラーの独裁は、一方的な独裁ではなく「同意の独裁」とも言われています。
もちろん異を唱える人々もいました。
しかし世の大勢には逆らえず、国を去るか黙り込むしかなかったようです。
敗戦後の占領下においてさえも、ナチ体制を批判するものは裏切り者と呼ばれ
自国の敗北をたくらむ反逆者扱いされたのです。
破綻した経済の中、生活の極端な窮乏、そして機能しない議会政治・・・
人々を支配していた考えは、自分さえよければの利己主義。
国民大衆の大半はナチス体制の受益者として、ナチスに協力していながら
その責任問題では、自分たちは知らなかったとか、強制されていたのだとか
責任回避に終始したようです。
「もう1つのドイツ」~実らなかった地下運動
ヒトラー人気の陰で、反ナチのレジスタンス運動は困難を極めました。
それでも自らの「いかに生きるか」という普遍的な問いかけに真摯に向き合い、
体制に逆向きな答えを出さざるを得ず、命がけで行動した人々がいたのです。
それは、自身には何の得もない、それどころか大切な家族をも危険にさらし
報われない孤独な現実に身を投じることでした。
ヒトラーの導こうとするドイツではなく、「もう一つのドイツ」実現のために・・
祖国のため、やむにやまれぬ大いなる犠牲的精神であったと思います。
決して多くはないナチス抵抗者、ユダヤ人支援者ですが
戦後生き延びた人々により、その一部が明らかにされました。
反ナチ運動として知られるものとして一例ですが
☆『白バラ抵抗運動』~ミュンヘンの大学生たちによる反ナチ運動で
首謀者6名が、ナチによりギロチンの露と消えています。
☆『ワルキューレ』~シュタウフェンベルク大佐の活動の記録です。
ヒトラー暗殺計画を描いたトム・クルーズ主演の映画で知られています。
命をかけた抵抗運動が行われましたが、結局ドイツの敗戦に依らなければ
ナチスの狂気を止めることができなかったのです。
ドイツの敗戦とホロコーストの責任の所在は・・・
わたしがどうしても許容できないのは、あれほどの(ユダヤ人迫害)事実がありながら
その責めを、ほとんど誰も十分には負ってないということ。
戦後ドイツの初代首相アデナウアー新体制が、ナチ期の官公使や政治エリートを
大量に国家機構の中に抱えての出発であったことから
過去を清算する姿勢は、恩赦や刑免除の乱発により曖昧にされたようです。
沢山の消えていった命を思うと、どうしようもない違和感を覚えてしまいます。
国が戦後の復興を急がねばならないから・・・
そんなことで帳消しになるはずもない・・・