スピリチュアル事象~ヴィパッサナー瞑想
「瞑想」は救いになるか~?
対人関係に悩んだことありませんか?
以前のわたしは、何となくうまくやれない自分にいつも悩んでいました。
今は、完全に開き直ってますが (^^;)
解決の種を探して色んな本を読み漁った時期があります。
「瞑想のセミナー参加は有用だった」という趣旨の本を見つけ
やってみたことがあります。
どうせならちゃんとしたものをやろう! ・・・と。
新宿朝日カルチャーの瞑想教室を受講しました。
そして、それは早い話が仏教でした。
「ヴィパッサナー瞑想」と言い
お釈迦様が悟りを開かれた瞑想なのだそうです。
わたしの生まれた家は完全に核家族で、
仏壇というものがありませんでした。
母がたまに「仏様は有難い存在で、敬うように」的な話をしてましたが
ほとんど、信仰とは縁がなく育ったのです。
まったく宗教には興味なかったし
できれば、関わらずに生きて行きたいと思っていました (今もだけど・・)
セミナーを受講すると、まず
「物事をあるがままに見る」という瞑想を行います。
それから、指導の先生の講話を聴きます。
そして参加者ひとりひとりが
感想であったり、体験なりを語り、またそれに先生が解釈を加えていく。
そんな風にセミナーは進められます。
説法も素晴らしければ、参加者の意識も高いです。
そのはずですよね、皆さん信奉しているのだから。
やっぱり、場の雰囲気にのまれるということもあったと思う。
なによりも、瞑想により煩悩を滅し
無明の闇から脱する・・・何としても至りたい境地!
それは、苦悩からの解放を意味します。
苦しい思いに囚われて、出口を探していたわたしには
馬の目の前に下がった人参🥕・・・・(たとえが安直だよぉ~)
朝日カルチャーは少々お金もかかります。
何クールかを受講したあと、
先生が主宰される、地域の集会所を借りた瞑想会に参加するようになりました。
これだと、会場を借りる費用の各自負担だけなので楽なのです。
先生は、インドでいろいろな修行をめぐりめぐられ
最終的にブッダのヴィパッサナー瞑想にたどり着かれた方です。
宗教の布教家的な雰囲気はまったくなく、淡々と
「苦しみから離れる方法を、万人に伝えたい」終始そんなスタンスの方。
そんなで、飽き性のわたしには珍しく、2年近くを過ごしました。
その間、「いつかはわたしも苦しみのない境地にいくんだ」と信じて。
それはもう、一生懸命修行なるものをしましたよ!
誰かの体験談に感心すれば、似たようなシチュエーションを設定してみたり。
ところが・・・
世の中には、スピリチャルな人っているんですよね。
色んなものが、見えちゃったり・・・前世の自分を知っていたり。
逆に、何をやっても、なんも感じない人間もいます。
自分の鈍さをあからさまにするようで嫌なんですけど・・・わたしがそうです。
「気」とかもまったく・・・そんな気になろうとするばかり。
まさか、霊的な人が少数派かと思っていたけど、こっちが少数派だったりしないよね?
手ごたえのないものを続けていくにも限界はあります。
終わりは得てしてあっけないものです。
ある日の瞑想会でのこと。
いつも参加者は、およそ50人以上はいます。
そして、初めて参加する人も常に10人ほどはいたように思います。
初めて参加された女性の体験談ひとつで、もうこれっきりにしようと思ったのです。
その気になりやすいとか、表現力豊かな人だったのかも知れませんが
最初から、凄い手ごたえを語られて
やってもやっても、なんもないわたしは
すっかりへこんじゃったんですよね~
いや、どこかでそんな機会を待っていたのかも知れません
仕方ないです(-_-)ふぅ~
もともと備わったものが違うんだと思っています。
しかし、こんなに凡庸なわたしなのに、
なぜか宗教を含めスピリチャルなものが、向こうからやってくるのはなぜ?
そうだった! 宗教はふつう広める活動するよねぇ~ (^-^;
まぁ~ つまんないことをグダグダ書き連ねてしまいましたが
このところスピ系の記事を読ませていただくことがなぜか多いので
何となく、語りたくなってしまいました。
ひ と り ご と・・・です。
いつか、
ブルース・モーエンやロバート・モンローの世界についても
書いてみたいと思います・・・やっぱり、落伍者としての記録ですが・・・