ゆらたび

日常から、非日常の折々の思いを綴りたい。

唐人屋敷跡 ~長崎紀行

 

唐人屋敷の歴史

 

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長崎市の「新地中華街」の入口にあたり、ランタンフェスティバルのメイン会場のひとつでもある「湊公園」から5分ほど歩くと「唐人屋敷跡」の門があります。

かつては中国人を「唐人」と呼んだのですね。  なんかレトロで懐かしい響き!

 

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1639年、外国貿易は中国とオランダの2国のみとなり、オランダ人は出島に住まわせ唐人は市中に散住が許されていました。

しかし、密貿易やキリスト教伝播を恐れ、幕府はこの地に唐人屋敷を建設し、持ち物や出入りを厳しくチェックしたのです。

1859年、日本の開国に伴い大浦の外国人居留地や新地に出る唐人も多く1868年には正式に解体され179年間のその歴史を閉じました。

        長崎市中央総合事務所地域整備2課パンフレットより

 

 

唐人屋敷の遺構である4つのお堂

 

アクセス

長崎のランタンフェスティバルは、中国の旧正月である春節に日程を合わせて行われますが、市民も観光で訪れる人々も、今も変わらず息づく「長崎の中の中国」を身近に感じずにはいられないのではないでしょうか。

 

たまたま見かけた唐人屋敷跡に、単純に興味を惹かれて訪れましたが、ちょうど「ロウソク祈願スタンプラリー」のイベント中でした。

これは唐人屋敷会場の目玉で、唐人屋敷の遺構である四つのお堂にロウソクを献灯しながら巡るというもの。

 

土神堂

 

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土神堂(どじんどう)

土神堂に祀られている土神様は福徳正神ともいわれ、土地や家を守り、豊作、金儲け、治病の神様として、中国古来から民間で広く信仰されてた神様だそうです。

 

天后堂

 

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天后堂(てんこうどう)

伝説の海の女神「媽祖(まそ)さま」を祀るお堂。

当時の唐人達は航海の船内に媽祖像を祀り、日本に着くと天后堂へお運びしたそうです。  ランタンフェスティバルでは、その様子が「媽祖行列」として表現されるそうです。

 

観音堂

 

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観音堂


観音堂は1737年に福建出身の唐船主により建立されたと考えられています。

何度も改修・改築が行われましたが、入口のアーチ型の石門は唐人屋敷時代のものと言われているそうです。

本堂には、観世音菩薩と三国志で有名な関羽が神格化された「関帝」が祀られています。

 

福建会館天后堂

 

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福建会館天后堂

 福建会館本館の建物は、火災や原爆で破壊され再建されたものです。

しかし、正門と天后堂は現存しています。

このお堂には、2体の媽祖さまが祀られており、ランタンフェスティバルの「媽祖行列」では、小さいほうの媽祖様を寺町の「興福寺」までお運びするそうです。

 

階段下の広いお庭には天女のようなオブジェが飾られています。

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 もう一体は

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歴史の変革時に美女の影あり・・・・ってかぁ~!