ゆらたび

日常から、非日常の折々の思いを綴りたい。

シーボルト記念館を訪ねる ~長崎紀行

 

近代医学に貢献したシーボルト

 

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1823年ドイツ生まれのシーボルトは医学を修め、さらに東洋学研究を志して来日します。

そして鎖国時代の日本の唯一の窓口、長崎出島でオランダ商館医となりました。

出島内で開業の後、1824年には出島外に「鳴滝塾」を開設し、多くの医者や学者に西洋医学(蘭学)の講義をしました。

教えを受けたのは、高野長英、二宮敬作、伊藤玄朴、小関三英、伊藤圭介など、そうそうたるメンバーも含まれます。

 

若きシーボルトは、やがて日本人女性おタキ(楠本滝)と結婚し、1827年に娘イネ(楠本イネ)をもうけます。

おタキさんが、出島の遊女であったとされていることに驚きました。

しかし、実際はシーボルトが出島の外で診察を行っていた際、診察を受けに来た17歳の美少女(おタキさん)と恋に落ちたのです。

一般の女性は出島への出入りが禁止されていたため、商家の小間使いであったおタキさんは、丸山の遊郭の主人に相談したすえ、遊女の名を借りて出島でシーボルトと暮らしたというのが真相のようです。

後に悲劇的に別れ別れになった後も、シーボルトは生涯彼女を思い続けました。

 

また娘おイネも、父親同様医学を修め産科の女医となり、後に明治天皇の女官・葉室光子の出産にも立ち会ったそうです。

残念ながら、その明治天皇の第一皇子は死産におわり、4日後に葉室光子も亡くなるという結末であったようですが。

 

シーボルト住居跡は市街地の奥にひっそりと。

 

シーボルトの住居跡と、傍に併設された記念館は市街地の奥まったところにあり、アクセスが不便との声があります。

それでも路面電車の電停(新中川町)から10分足らず、シーボルト通りと名付けられた道をのんびり散歩感覚で辿ります。

 

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やがて、案内図が示す方向に門が見えます。

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空地の奥にシーボルトの胸像です。 間違いありません!シーボルト住居跡です。

結構歩いての到着、ちょっとうれしい~(^.^)

 

当然、住居跡ですから何もありませんが。

 植物学者でもあったシーボルトは 新しく採取した空色の紫陽花に「Hydrangea  otaksa(ハイドランゼア オタクサ)」と愛する妻の名を付けました。

オタクサとはおタキさんのこと、ドイツ人の彼の発音のままに。

初夏には、この敷地内が紫陽花でいっぱいになるそうです。

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冬枯れている敷地内の紫陽花

 

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かつての庭の案内図


植物学者でもあったシーボルトの研究にも使われた、かなり広々とした敷地です。

背面のお山にも石垣や通路の跡が見られ、シーボルトが心静かに過ごした当時がしのばれます。

おしゃれなレンガ色の洋館、シーボルト記念館

 

住居跡のすぐ隣にシーボルト記念館は建てられています。

一見してシーボルト記念館であろうと推察できるお洒落な外観です。

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玄関わきに、若き日のシーボルト像が。

 

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入場料は、なんとびっくりの100円!

 

受付で伺うと、展示物の写真撮影は遠慮してほしいとのこと。

しかし、展示室の様子を撮るのは構わないそうで、撮らせていただきましたが、皆さん静に見学されていたので超恐縮! (^^;)

 

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100円と言うリーズナブルな料金の割には、シーボルトの足跡が分かりやすく展示されていてお得です。
シーボルトの、おタキさんと娘のおイネへの深い愛情が、展示物の一つ一つから見て取れます。

シーボルト事件後再来日していたことや、おタキさんとドイツのシーボルトの家族とのやり取りの様子など、知らなかったことが色々学べました。

 

館内のシーボルト像。

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あちこちに紫陽花のレリーフが。

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 さらに、シーボルトはオランダ政府の市場調査員(スパイ的な・・?)の側面もあります。

日本の地図を入手する目的もあったかもしれませんが、伊能忠敬や間宮林蔵との親交をの様子も展示されています。

 

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満足感いっぱいで、外に出ると沿道の民家の何軒かに、旅人をねぎらう言葉が。

 

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 長崎って、本当に素敵な街です (*^^*)