二十六聖人の像 ~長崎紀行
わが国初の殉教者たちの像
長崎駅前から国道沿いを歩き、急な坂を頑張って上ると5分ほどで二十六聖人殉教地とされる西坂公園にたどり着きます。
1587年に豊臣秀吉はキリシタン禁止令を出しました。
一説には九州征伐の折に、キリシタン大名達が同じ信仰 の絆で強く結ばれているのを見て、キリシタンに対する警戒が危機感へと発展したためと言われています。
1597年(慶長元年)には、京都で活動していたフランシスコ会の信徒を中心とした26名を長崎の地で磔の刑にしたのです。
処刑されたのは、外国人宣教師6名、日本人信徒20名で、その中には3人の子供も含んでいます。
最年少の「ルドビコ茨木」は12歳。
伝えられるところによると、長崎に向かう道中で役人が憐れんで
『信仰を捨てれば逃がしてやる』と言ったところ
『つかの間の命と永遠の命とを替えることはできない』と断ったのだそうです。
今はこの「西坂の丘」は、目の前は国道で路面電車やJRの列車が走っていますが、かつては海に面した岬であったそうです。
キリストが処刑された「ゴルゴタの丘」に似ているという理由で信徒たちが処刑場として望んだと伝えられています。
信徒たちはその刹那、遙かな海に眼差しを据えて、世俗とは違う景色を見ていたのかも知れませんね。
二十六聖人のレリーフの裏手には「二十六聖人記念館」があります。
日本におけるキリシタンの歴史が学べるそうです。
わぁ~ぉ ガウディの匂い~「聖フィリッポ西坂教会」
二十六聖人の殉教は、日本国内よりむしろキリスト教徒の多いヨーロッパでの方が広く知られています。
二十六人の殉教者たちは、1862年ローマ教皇ピウス9世により、列聖(聖人の列に加えられる)されました。
列聖100年を記念して記念館が作られ、時期を同じくしてすぐ裏手に「聖フィリッポ西坂教会」が日本カトリック教会の人々が中心として建設されました。
設計は、どちらも有名な建築家の今井兼次氏です。
今井氏は昭和の初め、サグラダファミリアの設計で有名なスペインの建築家、アントニオ・ガウディを日本に紹介した人物としても知られています。
今井氏自身もカトリック信者だったこともあり、信仰と建築が一体となった中世カトリック世界を実践し続けた、ガウディの創作方法に心底共鳴されていたそうです。
そして、この聖堂にガウディのエッセンスを盛り込んだと言われています。
二つの聳え立つ塔は、一方が殉教者の喜び、もう一方は人々の喜びが呼応する天の門を意味しているのだそうです。
日本ではちょっと奇抜に感じられるかもしれない尖塔のデザインですが、去年の春バルセロナで多くのガウディ設計による建築物を目にしてきた私には、まさにガウディそのものに感じられました。
こちらの壁も、いかにもガウディぽいなぁ~ (^-^)
この壁や、尖塔に埋め込まれた焼き物は、京都から長崎までの道沿いで作られた焼き物で、二十六聖人が歩いた道のりを表しているのだとか!
駅近ですし、ちょっと立ち寄るにはお勧めの場所ですよ (^^)v