難攻不落の小田原城~その➀
小田原駅からお城へ至る
8月の暑い盛りに小田原を訪ねました。
晴天に恵まれ、お日様が照りつけるなかウロついて頭をやられたのか
どうしてもまとめて記事にすることができず放置状態になっています。
このままでは、宿題をやってない小学生気分なので
何とか年内にけりをつけるべく頑張ってみることにします (^^;
小田原駅改札の巨大提灯をくぐり改札外へ出ます。
エスカレーターを降りて外に出ると、もう右手に小田原城が見えています。
お城を見ながらどんどん歩いていくと、10分ほどでお濠沿いの並木道に。
このお堀「二の丸東堀」に沿ってお堀端通りを歩くと、鮮やかな朱塗りの
「学橋(まなびばし)」が見えてきます。
本来は学橋を通り過ぎてあと100メートルほど歩き、城址公園に向かって架かる
「馬出土門」を入るのが「正規登城ルート」であるらしいのですが・・・
天守閣への近道となっている常盤木門の方へと、この橋を渡って行くことにしました。
カンカン照りで暑いし、ショートカットできるに越したことないし・・・(*_*)
二の丸広場を突っ切り石段を少し上ると、堂々とした構えの常盤木門が目の前に。
常盤木門は城の防衛に重要な役目を担っており、場内の門の中では最も大きく
堅牢に作られています。
門内に入ると、いよいよ天守閣がお目見えです (^^)
小田原城ってどんなお城?
小田原城は、15世紀末に関東一円を支配下に置いた北条早雲が居城とし
以降、氏綱、氏康、氏政、氏直と5代、約100年に渡り北条家の拠点となりました。
最大の特徴は豊臣軍に対抗するため作られた広大な外郭(かこい)で、小田原の町全体を
総延長9キロメートルの土塁と空堀で取り囲んだもの。
三代目当主北条氏康の時代には難攻不落、無敵の城といわれ上杉謙信、武田信玄の攻撃に耐えたそうです。
北条氏の没落後には、大久保氏、阿部氏、稲葉氏などが城主を務めています。
また、かつての天守閣も江戸時代の地震により倒壊し、現在のものは再建されたものだそうです。
次は、いよいよ小田原城内に入り、天守閣にも登ります。