歴史ミュージアム「会津武家屋敷」~会津街道を行く
会津幕末の暮らしを見る「会津武家屋敷」
「会津武家屋敷」は、江戸時代最後の会津藩主・松平容保(かたもり)に仕えた家老・西
郷頼母の屋敷をはじめ、福島県重要文化財・旧中畑陣屋や数寄屋風茶室など、歴史的建
築物が一堂に会した野外博物館。
位置づけはアミューズメント施設ということで、入場料850円を支払っての入場となります。
この場所にあった元の武家屋敷は1868年に焼失、観光目的のために再建されたようです
が、敷地内には多くの重要文化財を見ることができます。
表門を入る手前の正面に、目を引くインパクトのある像があります。
志田四郎(しだしろう)は西郷家の養子となって講道館柔道で活躍し、小説「姿三四郎」
のモデルとなりました。
柔道の大技「山嵐」を編み出した柔道の達人です。
西郷頼母の養子で、その家督を継いだ人でもあり、頼母から柔道の教えを受けていました。
会津藩の文武両道の精神を見ることのできる逸話でもありますね。
西郷頼母邸
「武家屋敷」は、けやき、ひのき、杉材が用いられて敷地面積2400坪、建築面積280
坪、38の部屋数、328枚の畳数という広大なものです。
表門をくぐると、まず「式台玄関(しきだいげんかん)」と呼ばれる表玄関があり、上級
武士だけが通され家老と挨拶ができたということです。
御成りの間
お殿様がおいでになった時だけ使用された部屋で、上座に松平容保公、下に西郷頼母が
控えています。
番所(ばんしょ)
屋敷内警備の家来が詰めていて、緊急事態に備えていました。
奥一の間(おくいちのま)
家老・西郷頼母の寝室として使われていた部屋。
妻・千重子と三女・田鶴子、四女・常盤子(とわこ)の人形があります。
父の寝所で遊ぶ子供たちを、母の千重子が叱っている場面だそうです。
台所
第二資料館~頼母家族の自刃の場面
ここはかつて片長屋と呼ばれ、警備にあたらせるための家臣の居宅を置いていた建物。
今は、幕末の会津に関する歴史的資料が展示されています。
白虎隊が学んだ藩校「日新館」や「ならぬことはならぬ」で知られる「什(じゅう)の掟」についても学べます。
そして最も胸に響くのが、西郷頼母の家族と親族の自刃場面を表現した蝋人形です。
自刃した女性たちの時世の句が残されていますが、胸に迫って涙ぐまずにはいられません!
旧中畑陣屋と茶室「麟閣」
西郷頼母邸と向かい合う形で、江戸時代の代官所(陣屋)を移築した旧中畑陣屋跡があります。
1837年(天保8年)旗本の松平軍次郎の代官所として、中畑村に造られたお屋敷です。
建物全体は寄棟造(よせむねづくり)で、屋根は茅葺で、玄関は唐破風(からはふ)です。
東北地方に残る最後の代官所として、福島県重要文化財に指定を受けています。
すぐ隣には、やはり茅葺屋根の茶室「嶺南庵 麟閣(れいなんあん りんかく)」があります。
これは茶の湯の大家、千利休の子の小庵ゆかりの茶室(鶴ヶ城公園にある)を模したもの。
江戸時代、茶道は武士のたしなみとして重んじられたのです。
会津くらしの歴史館
旧中畑陣屋の奥にある「会津くらしの歴史館」には、会津の歴史を語る風俗や生活道具
などが展示されています。
江戸時代をたっぷり味わえる歴史博物館でした~(^^)