白虎隊士が眠る飯盛山 ~会津街道を行く
会津街道をたどっていると、その歴史に目を触れないわけにはいきません。
そうした歴史が分かってくるにつれて会津、そして福島という土地やそこに暮らす人々への理解が、自ずと深
まっていくような気がします。
会津若松飯盛山は戊辰戦争の悲劇の舞台
飯盛山は会津若松市中心部から東2kmに位置し、城下町を一望に見渡せる小高い山。
幕末の戊辰戦争時に奮戦した白虎隊の自刃の地として知られています。
山腹には白虎隊士の墓、自刃の地を示す石碑などが設けられ西南方向には鶴ヶ城の姿も
眺められます。
飯盛山に登る。 ~スロープコンベアでらっく楽!
飯盛山手前に観光案内所、そして市営観光用駐車場(無料)に車を停めると徒歩2分ほどで
飯盛山入口に到着します。
左右の土産物屋さんを抜け進んでいくと、正面に183段もの階段が目に入ります。
1日中あちこち観光をして来て、足が棒になってる身にはなかなかしんどそう~(~_~;)
同行者は迷うことなく併設されたスロープコンベア(動く坂道)の方へまっしぐら・・・
わたしに異存のあるはずもなく、大人1名250円を支払います。
観光客は少なかったけどみんな頑張って階段を上っていたのに情けない・・・(;'∀')
白虎隊十九士のお墓
飯盛山の頂上まで上ると広場の奥にひっそりと白虎隊十九士のお墓が並んでいます。
白虎隊は慶応4年戊辰戦争において、会津藩が組織した16歳から17歳の武家男子によっ
て構成された部隊。
会津軍は、圧倒的な物量で迫る新政府軍に対し劣勢は否めず、少年たちは負傷者を抱え
て飯盛山に落ち延びました。
負け戦のなか隊士らは、敵に捕らわれ生き恥をさらすことを潔しとせず、武士の本分を
明らかにするため自刃を決行したと伝えられます。
朝敵とされた白虎隊士の遺体は明治政府の(埋葬禁止令)により、長らく放置され風雨に晒されました。
漸く埋葬が許される明治2年までは、隊士を不憫に思った当時の山主飯盛正信らにより
こっそりと仮埋葬をされていたのだそうです。
今は大慰霊祭が行われ、また訪れる多くの人たちによって線香の煙の絶えることはない
ようです。
白虎隊自刃の地
実際に白虎隊士たちが自らの命を絶った場所は、現在の墓所から少し離れたところにあります。
はるか会津城下町の先にある鶴ヶ城を、額に手をかざして見る隊士像・・・なんで頭が切れてるんだよぉ~写真へたすぎ・・・_| ̄|○
隊士がのぞんだ会津城下の景色・・・鶴ヶ城は右手奥の方、写真では確認できませんね!
城からあがる煙を見た時の未だ幼い隊士たちの無念、絶望を想います。
白虎隊唯一の生き残り「飯沼貞吉」の墓
自刃を決行した白虎隊士20名のうち、刃で喉を突きながら唯一生き残ったのが「飯沼貞吉」です。
白虎隊自刃の経緯はいろいろな憶測がなされましたが、飯沼が伝え残した「白虎隊顛末
略記」によって真相が知られるところとなったようです。
飯沼は維新後を電信技士として77歳まで生き抜きましたが、終生「自分は白虎隊として
死んだ身である」との思いを貫いたようです。
そして遺骨の一部は、遺言により飯盛山に眠る同志と同じ場所に埋葬されたそうです。
飯盛山多彩な見どころ
飯盛山は白虎隊士の墓のみならず、多くの見どころがあります。
各地で戦死した会津三十一士の墓、イタリア・ドイツから贈られた記念碑、
国指定重要文化財である「さざえ堂」、他にも「宇賀神堂」「白虎清水観音」
「厳島神社」「白虎隊記念館」
そして、白虎隊に強く感銘を受けたドイツ人の墓や石碑など・・・
機会をあらためてご紹介出来たらと思っております<(_ _)>