ウィーン~宮殿を巡る その②(ハプスブルグ家夏の離宮~シェーンブルン宮殿)
女帝マリア・テレジアの愛したシェーンブルン宮殿
ウィーンのハプスブルク家の夏の離宮であるシェーンブルン宮殿。
皇帝マティアスが狩りの途中で美しい泉(ドイツ語でシェーンブルン)を偶然発見し
この地所にシェーンブルンと言う名称を与えたことに由来して
現在でも、そのように呼ばれています。
神聖ローマ皇帝レオポルト1世はパリのヴェルサイユ宮殿を模しながら
それを凌ぐ豪華な宮殿建設を計画しましたが、ハプスブルグ家の苦しい財政事情から
マリア・テレジアの命で現在の姿になったそうです。
外壁は金で塗る予定だったのが、黄金に近い黄色にしたことで
「テレジア・イエロー」といわれ、金よりむしろ上品になったと思うのですが・・・
皇帝カール6世からシェーンブルン宮殿を譲られたマリア・テレジアは
庭園に囲まれたこの場所を好み、シェーンブルンは華やかな時代を迎えました。
宮殿は、宮廷生活でも、政治においても中心的な存在になったのです。
神童と言われたモーツアルトがマリア・テレジアの御前で演奏した際
宮殿の床で転んでしまい、助け起こしてくれた皇女マリー・アントワネットに
「大きくなったら僕のお嫁さんにしてあげる」と言ったという逸話があるのが
「鏡の間」です。 モーツアルト6歳、マリー7歳の微笑ましいお話し。
まだ、おのおのの宿命も知らない無邪気なひとときだったんですよね~
そして1918年「青磁の間」において最後のオーストリア皇帝カール1世が
「国事行為の断念」を宣言し退去後、宮殿は共和国政府の所有になりました。
現在シェーンブルン宮殿はなんと、観光用に公開されている2階部分をのぞき
ウィーンの住宅不足解消のため、アパートとして一般に貸し出されています。
お城に住む一般人って・・・(*_*;
庭園の丘からウィーンの街を一望する!
シェーンブルン宮殿とその庭園はユネスコ世界遺産に登録されています。
ハプスブルグ家というある意味、類まれな一族の歴史も含めた価値でしょうかね。
もう記憶も曖昧ですが、以前訪れた折に宮殿の見学とコンサートは経験しているので
今回はまだ見ていない庭園を歩いてみました。
庭園は、東西南北に1キロ四方に広がる広大な規模で
手入れが行き届いて美しく保たれています。
あえて宮殿入り口を避けて、西側の庭園入り口からお邪魔しました。 もちろん無料!
果てしなく続くように思われる木立の間に延びる道をどんどん歩きます。
日差しは夏のよう・・・4月だと言うのに・・・
疲れたら木陰のベンチが足を休ませてくれます。
並木通りを抜けたら、突如宮殿が現れます。
宮殿に背を向けて、目指すは丘の上の「グロリエッテ(戦勝記念及び戦没者慰霊碑)」
丘の一番高いところにある「グロリエッテ」を目指して
美しい花で彩られた庭を過ぎ、ただ ひたすら坂道を登ります。
たくさんの彫刻や噴水が配され、途中の植え込みの奥にトイレの表示もありました。
振り返って見ると おおっ 宮殿が・・ウイーンの街が・・・
もう一息で、丘の上。
ちょっとキツかったけど、登ってきて良かった!
ここからのシェーンブルン宮殿の眺めは素晴らしいです。
主な写真は宮殿からグロリエッテまでしかありませんが
その左右に、幾何学的な花壇や芝生、並木道など
豪華なフランス式の庭園が広がっていて
敷地内に動物園や日本庭園を含んで
見ごたえある世界遺産ですから訪れた際には、是非に庭園内の散歩をお勧めします。
かつてマリア・テレジアが・・・マリー・アントワネットが・・
シシィことエリザベートが生きた時代に思いを馳せましょう~